ワーキングマザーはじめました。

日々のあれこれつれづれと。のんきな夫、2歳の息子、SEの仕事のことなど。

子どもの存在を社会に持ち込むこと

今日は友人宅でホームパーティ。

大いに飲んで大いに食べて、大満足。これを書いている現在も結構酔っぱらっている。

で酔った勢いで書くんだけど。

今日はかれこれ7年くらいの付き合いになる友人たちと遊んだ。彼らは独身時代からの友達である。

子どもを産んでからというもの、会うたびに少し残念そうに「お母さんぽくなったよねえ」と言われる。それはどういう意味、と毎回聞いて、返ってくる答えが何となく、とか、振る舞い全般が、とか、そんな感じ。

仕事の話をしていてもワーキングマザーとしては子どものことが切っても切り話せないわけだけど、仕事のキャリアの話に子どものことを絡めるたびに、それは言い訳だろうみたいな受け止め方をされる。

彼らも正論だと思うけど、毎回言われるたびに拭えない違和感があって、この違和感の正体はなんだろうと考えた。多面的にいろいろあるのは当然だが、今日とても強く感じたのが、誤解を恐れずに言えば社会という場における「子どもがいるという雰囲気を持ち込むなよ」という暗黙の不文律である。彼らは私の友人であり、良き理解者であり、息子をかわいがってくれる大人たちである。そんな人たちでも、子どもの存在が社会や社交の場にいないことが前提であり、子どものことは家庭で済ませる問題であって、社会に持ち込む問題ではないという認識にあるのである。

それが悪いというつもりはなくて、ああ、だから私が飲み会に行くと「お母さんが飲みにきた」と思うのだろうし、「いやー残業できないし転職ももうなかなか辛いよ」と言うと「そういうのを子どものせいにするんじゃない」と言われるのである。なるほど、すっきり。

でももう今さら子どものいない人生には戻れないし、私は今のスタンスを選んで生きている。でもその選択によって社会的マイノリティになったんだなあ。

子どもの事情を社会に持ち込むのを是とされないことは百も承知であるが、現実問題こちらの立場にいる身としては多様性が当然の社会にもう少しなって欲しいなあなどど身勝手なことを思うわけである。