ワーキングマザーはじめました。

日々のあれこれつれづれと。のんきな夫、2歳の息子、SEの仕事のことなど。

育休と、権利と、時代の違い。

本日(もう昨日か)、巷を大フィーバーさせたNBの某記事。

育休フィーバーの影で犠牲云々ってやつ。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120229/229264/

 

こういうテーマの根本的な問題は要員をうまく配備できない組織やマネジメントにあるのであって、個人に向けてはならないと思っています。一方で、権利を取得する人は、いち社会人として「お休みさせていただいてありがたいです」「時短でしか働けずにすみません、その代わりやれる事は精一杯やります」というスタンスで職場に接する方がいろいろと円滑に進むとも思っています。たとえ時短勤務者同士の会話で「時短だとやりがいのある仕事任せてもらえないよねー」とか、「給料すんごい減ってモチベーション上がらないよねー」とか言っていたとしても。あまりいいとは思えないが、「申し訳ないです」スタンスで行った方が何かと都合がいいのです。

と、以上の内容自体は多分世の中の共通認識ではないかな、と思うのですが。

興味深いのはこの記事に対する反応の方でした。

冷静に組織の問題として捉える人もいる一方、感情的な反応も少なくなくて。

確かに、上の世代が「私たちが苦労したのにあんたたちはそれを当然と思って!もっとへりくだって生活しなさいよ!」という説教をするのは聞いていて気分のいい物ではないけれど、まあ世代の差なんてそんなもんだし、ちょっとイヤミな姑ならその類いの発言なんて日常茶飯事に嫁に向けているのではと思う(うちの義母がそんな姑じゃなくて本当に良かった)。

けれど、その言に対しあまりにも感情的になって反抗してみせ、人によっては「下の世代に文句ばっかり言う人って惨めよね」とまで言ってしまって、なんかそれもちょっと行き過ぎな反応なんじゃないかなあと感じます。時代が違うのよあなたたちのときとは、というのが反抗する立場の考えなんだけど、まさにそのとおりで、すなわち時代が違うってわかっていながらも一つ前の時代を駆け抜けた人の生き方や考え方を頭から否定するのはちょっといいとこ取りしちゃいませんか、と思うのです。

今の私たちの時代の考え方を認めてよ、あなたたちが苦労したのも時代のせいであって、私たちのせいじゃないし、その価値観を押し付けないでよ、と。

しかし一方で逆の立場からすると、あんたたちの時代の働き方の価値観を私たちに押し付けて、私たちにそのしわ寄せを処理させるなんて、まっぴらごめんよ、と思っている人がいるわけで、だとしたらそれは時代の違いを互いに理解していくしかないんじゃないのかな。

どんな世代にもどんな時代にも、今を生きる人に取っては与えられた選択肢の中で葛藤しながら取捨選択の連続で、それの積み重ねによって毎日ができているのは共通しているはず。生きていたらいつどんなことがきっかけで自分の置かれる立場や物の見え方が変わるかもわからないのに、より有利な権利を持っている側がそれを手に入れられなかった側を否定して権利を主張するのは大きな目で見たらリスクたりうるし、ちょっと視野が狭くなっているんじゃないかと感じます。

そんなことを思った私ですが、世代間格差で言えばやっぱり老人のための選挙はどうにかしてほしいなあ。これは理解できないや。と思い至り、まあ気分よく生きるというのは難しいなあと改めて感じるのでした。